2014/07/25

飛び跳ねるぐらいの嬉しさで実感したのは、中3の時期でした

(掲示板「大風呂敷」過去ログ倉庫から)

【14943】根石先生 吉さん 投稿者:かた 投稿日:2009年10月12日(月)23時38分36秒

 私が根石先生とお会いし、根石先生のレッスンを受け始めたのは小学校6年生の時です。つまり・・・12歳!私は今21歳なので・・・時間というものは早いですね(^-^;)私の住む地域の公民館へ先生に来ていただいたり、私が先生の家へレッスンを受けに通ったり、電話でレッスンになったり、スカイプでのレッスンになったりと様々な形でレッスンを受け、今の状況に至るわけですが、私が「音読のおかげだ」と飛び跳ねるぐらいの嬉しさで実感したのは、中3の時期でした。このころは受験シーズンなわけで、様々な長文を読み始めるのですが、ある日の授業で突然長文がすらすら読みながら意味をとれるようになったのです!自分でも驚きました。「あ!読めてる!分かる!本当に!?」って。この時の気持ちは今でも全く忘れていません。そのときしみじみと「音読だ!」と感じました。授業以外にやる英語はレッスンが主だったので。そこから、英語が楽しくて楽しくて、レッスンを受けるのが楽しくて楽しくて!高校に入ってからも、ずっとお世話になりました。ネイティブの先生とのコミュニケーション授業の後に直接「あなた音がみんなと違うけど、外国で暮らした事あるの?」と質問されたことも。

 ですが、このあたりで「日本語の中で学ぶ英語の難しさ」を痛感し始めました。本当に話していないとすぐに錆びるんです。。。本当にびっくりするぐらい。あっさりと。早く。あれ?・・こんなだっけ?みたいな。そこからこの英語のレッスンに自分なりの意義を見つけ、今までずっと続けてきています。ここまで続いてきたのは・・・なんでしょう、日本語の中で英語を形にしようと、使える英語にしようとしていくのが楽しいからですかね!?教育学部の数学科にいますが、もちろん英語の免許も取るつもりです!子供達に音の大切さ。文法よりもまず音!という事を伝えていかなくては!!!教育現場に新たな改革を!!! (なんて言ってみたり♪)えっと、私が言いたいのは、日本語の中で学ぶ英語は本当に大変で難しいけれど、結局は自分でやらないといけないことだけど、今のレッスン方法でだいぶ力がついた!という事です♪

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2014年7月25日 コメント 根石吉久

 この記事が書かれてから4年が経った。記事が私と吉さんに向けて書かれているのは、吉さんがコーチ法を知りたがっていたので、Kのコーチをやってもらっていいよと私が言ったからである。吉さんはアメリカの大学を出られて、日本の会社で仕事をされていたが、英語のコーチ法に大きな関心を持っていた。
 Kは大学3年の時だったか、素読舎の初めての「無料過程」の生徒になったので、吉さんにコーチをしてもらえれば、逆にKの方から私がこういう場面ではこういう指示を出すという話が出ることもあるだろうと考えた。それを吉さんが私にフィードバックしてくれれば、それはこういうわけだと私から説明できるとも考えた。しかし、そんなフィードバックはなかった。

 Kが大学4年の時、吉さんは私に何の断りもなく、いきなりレッスンを放り出した。会社の仕事が大変だったからというような理由を後でKから聞いた。ふざけんなよ。そんな理由は、Kから聞くようなことかよ。なんで自分で俺に言わないのか。私は腹の中でぶち切れたが、その時は何も言わなかった。アメリカ帰りなんかには、よくこのテの者がいるものだが、この人もかと思った。
 今年になってからだと覚えているが、この吉という者は、掲示板「大風呂敷」にのこのこ出てきて、自分がやったことがまるでなかったことのように親しげな口調で私に語りかけた。のこのこ出てきてもらう必要はないこと、出てきてもらっても、まともに相手をするつもりはないことを返事した。
 その後は出てきていない。
 私は、切るべき者は切る。

ネイティブの先生とのコミュニケーション授業の後に直接「あなた音がみんなと違うけど、外国で暮らした事あるの?」と質問されたことも。

 Kが上のように書いたことは、Kが北信地方の高校に入学した直後のことだったとKのお母さんから電話で聞いたことがある。
 ALTの授業が終わったとき、ALTがKの席まで来て、Kに外国で育ったのかと聞いたのだそうだ。あなただけ他の生徒と英語の発音が違うとそのALTは言ったそうである。あなたの英語はよくわかる、どこで育ったのかと聞かれ、Kは、日本で育ちました、日本人の塾の先生から英語の音を教わりました、と答えたそうだ。先生のおかげですと、Kのお母さんは私に電話で感謝してくださった。

 Kは数学が得意で信州大学教育学部の数学の先生になる課程に入学した。
 信州大学は、学部全体で同一の英語の出題をしてテストをするそうだが、Kは学部全体で英語でトップだった。数学の免許だけじゃ、あんたの英語がもったいないから、英語の教員免許も取れと私はKに言った。
 
 もちろん英語の免許も取るつもりです!

 Kが上のように書いてくれたのは、私が英語の教員免許も取るようにと言って間もなくのことだった。
 数学科の学生が英語科の学生を抜いて学部トップになったということなのだ。
 まあ、長野県の中学の英語の教員なんかより、Kの方がずっと英語がわかるのは確かだ。素読舎育ちなんだから仕方がない。

 今頃、Kはどうしているんだろうか。
 無事、教師をやってるだろうか。
 
 教育現場に新たな改革を!!!

 なんてことをまともにやったら、まずまっさきに周りから干されるぜ。長野県の(長野県だけじゃないが)、中学あたりの英語の教師の英語力はとてもレベルが低いし、文部科学省に文句を言う度胸を持っているやつなんかほぼ皆無。

 素読舎の方法と学校の標準的授業との目も眩むほどの落差は、この記事を書いた時点でのKは知っているはずもない。現場に入ってそれを知るのだが、それを知った後のKはどうしているのだろう。実は心配しているのである。

 Kよ。本当に改革をやりたければ、学校の教師なんかやめて塾をやれ。学校の教室というところでは、本当には音読なんてできはしない。それっぽいことはやっているが、みんな偽物だよ。
 経済的な損得で言えば、学校の教師をおとなしくやってる方が多分得だ。
 素読舎はもうかんない。

 Kよ。それでも行き詰まって、塾やろうかなと思ったら連絡せよ。


<派生した語学論へのリンク>

元にあるのは「言いながら書きながら思う」こと








 

 
 

 
 



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