2014/07/24

文章を頭の中で考えずに、しゃべりたいことをまず英語で話しだしていた



(掲示板「大風呂敷」過去ログ倉庫から)

今週のできごと 投稿者:Piggy 投稿日:2010年10月16日(土)08時04分36秒


今週、イギリス人と半日一緒にいる、という私にとっては驚くべき体験をしましたので、書きたくなりました。学校でネイティブ・スピーカーと日常的に接している今の若い学生さんや、英語上級者は、何のこと?と思うかもしれませんが、私にとっては初めての体験だったのです。さらに先ほど、生まれてはじめて、ある共通の趣味を持つ人たちがつどうフォーラムにおいて、英語でチャット(ネットにどんどん書き込むことで、その場で文字でおしゃべりすること)をしました。

根石さんのレッスンをうけるようになって、1年半とちょっとです。最近急に、自分の中で英語が動き始めるのを感じていました。英語でメールを書いたり、掲示板やブログのコメント欄に書き込んだり。でも話したり、チャットをするところまで行くとは思いませんでした。

今までのことを簡単にお話すると、中学高校では英語は得意科目で、辞書をひいてパズルをとくようにして英語の意味がわかっていくのが好きでした。でもネイ ティブ・スピーカーに授業を受けることは皆無でしたし、LL教室もありませんでした。大学にはいってサークルで、あるアメリカ人をまねいておしゃべりする機会がありましたが、私は何一つわからず、何一つ話せませんでした。数人、ちゃんと彼女と話ができる学生がいて、どうしてそんなことができるのか私にはわかりませんでした。卒業後の専門は理系分野です。専門の文書なら、だれでも卒業後数年経てば、辞書なしで情報を得ることができるようになります。専門用語さえわかっていれば、情報を得るのに不自由はないのです。でもあいかわらず私は話せませんでした。専門のことさえ話せないのです。専門用語を羅列するだけでは、話す時には何も伝わりませんから。専門分野で書く機会もときどきありますが、これは何とかなるのです。でもパズルであることにはかわりはなく、単語をあっちこっちからとってきて、くみあわせていました。

話す機会からは逃げ回っていました。逃げるのに疲れて英会話教室でプライベートレッスンを6年くらい前に半年くらい受けましたが、何かが身に付いたという実感はまったくなく、敗北感だけでした。

そういう私が、挨拶と自己紹介以外は実際の場面では英語で話したことがなかった私が、今週イギリス人と半日すごして、文章を頭の中で考えずに、しゃべりたいことをまず英語で話しだしていたのです。先ほどはとにかく文章を考えつくままに頭から書いては、ネット上でおしゃべりをしていたのです。

もちろん、今週イギリス人と話していたときは、とつとつとしゃべり、山ほどの間違いをしました。でも、時々文章まるごとがするっと口から出て来たり、あるいは文章はとぎれても、文章中の固まりは固まりとして出て来たりするのです。適切にとっさに返答できたりするのです。チャットになると、さらに文章は短く単純になりますが、単語をあっちへやりこっちへやりしていては会話に追いつかないし、実際に目の前にいれば文章が終わるのを待ってくれるけれども、チャットではこちらがキーボードを打っているのは相手にはみえませんから、時間勝負です(私への質問の時は、私の答えを待ってくれますが)。それがちゃんと文章として頭から打てるのです。

何がこういう変化をもたらしたのか。一つは英語の「型」が発音ごとからだにしみこんだこと。もう一つは、英語のイメージが自分に身近になったこと。英語の文章が持つイメージ、ということでしょうか。これは「型」と同じことかもしれません。「型」が持つイメージ。根石さんがおっしゃる「語法」とはこのことで しょうか。そして、ここ数ヶ月の「つなげて」「もう一段とつなげて」が、ものすごく効いているように思うのです。もちろんそれまでのことがあったからこそ の効果でしょうが。「つなげて」がはじまってから、自分の中で英語の「型」が、自分のものとして動き出した、という実感があるのです。以前何度もきいてい た映画の音声の意味がすっと入って来て、驚いたりしました。きくことに関しては、解像度があがった、という感じです。

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2014年7月23日 根石からのコメント


 このデータには2010年に Piggy さんが書いて下さったことがわかるタイムスタンプがある。もうあれから4年も経った。

 Piggy さんに特徴的なことは、大学受験の練習の仕上がりが非常によかったということが一つある。

 しかし、受験英語で作った英語力は、そのままでは「話す・聞く」にはまず使い物にならない。Piggy さんもそうだったのである。単語の数などはかなりなものに達しているのに、音が違っているから使えないということが一つある。それともう一つ、英語のシンタックスが意識に内在化されていないということがある。

 『ここ数ヶ月の「つなげて」「もう一段とつなげて」が、ものすごく効いているように思うのです』と Piggy さんは書いて下さった。これが「シンタックスの内在化」の技法の一つである。これは当時そういう言葉で Piggy さんに説明したかどうかは忘れてしまった。

 この記事が示しているのは、うまく仕上がった大学受験英語に、素読舎の「音づくり」が組み合わされたらどういうことが起こるのかということなのである。

 Piggy さんは大学の先生である。掲示板に何度か書いて下さった時も、ご自身が大学の先生であることを明らかにされることはなく、私がそれがわかるような記事を書くと非常に気にされているのがわかった。本名を明らかにするわけでもなく、専門分野を明らかにするわけでもなく、大学名を明らかにするわけでもない記事なのだから、何をそんなに気にされるのか私にはわからなかった。

 素読舎は、初めは中学生、高校生を相手にして始めた英語塾だった。塾を始めたころはネットなどもなく、そんじょそこらの受験用の英語の塾だと思われていた。そんじょそこらの受験塾に大学の先生が通うなどということは考えられもしないことだ。それはそうだ。

 インターネットが普及して、「大風呂敷」という掲示板を作り、日本人の英語の問題を論じている間に、いろいろな人が記事を書かれ、その中には私のレッスンを受けてくださった方が何人もいる。、掲示板に記事を書かれた方も書かれなかった方も含めれば、英検1級をお持ちの方、大学病院の医師でアメリカに研究のために渡ることを予定されていた方、日本の国家公務員の方で、やはりアメリカに数年滞在し仕事をされることを予定されていた方など。
 高校の英語の先生は、これまでに四人受講されている。(一人の地元の方は、「スカイプでレッスン」の生徒ではなく、長野市の「ゆいまある」という喫茶店を借りてやっていた教室の生徒。)

 大手電機会社の社員で頻繁に外国に行かれる方は、例えば中国に行かれた時は、ホテルの一室からレッスンを受けてくださったりもした。アメリカで仕事をされた日本の国家公務員の方は、帰国後もレッスンを継続して下さった。

 素読舎のレッスンは非常に地味である。上級者の方や、各種方法を試されてうまくいかなかった方や、実際に英語を使って仕事をされている方のほうが、素読舎の地味なレッスンの価値をわかって下さる。単に英会話幻想を持っているだけの人より、よく練習もする。

 例えば、大手電機会社の社員でレッスンを受けて下さった方に、職業を書いてもいいですかとか、ベトナムに住んで5年ほど仕事をされていた時期があることなどを書いてもいいですかとお聞きしたが、そんなことはいくら書いてもらってもいい、会社の名前だけ出さないでくれればいいとおっしゃったことがある。
 Piggy さんが大学の先生であることが明らかになるのを嫌がったのは、広い意味では教育界の人だからなのだろうか。大学の先生が、ただの田舎の英語塾のレッスンを受けているなどと世の人々に知られたくなかったのだろうか。
 一向に構わないではないかとどうしても思ってしまう。大学の先生が英語をしゃべれないことはいくらでもあることだし、田舎の英語塾をやっている者が、そんじょそこらにはない「語学論」を持っていることはありうることなのである。インターネットは在野と大学を結ぶのである。大学の先生であることなど気にされないで、普通にレッスンを受けていただきたい。

 知識的には英語はちゃんとやったんだけど、いまだにしゃべれないんだという大学の先生がおられたら、今後も素読舎に連絡をいただきたいと願っているのである。そのためには、Piggy さんが英語をしゃべり始めた頃のこの記事は貴重なのであり、Piggy さんが大学の先生であるということをお知らせすることも必要なことなのである。

 Piggy さんは所期の目標は達成され、素読舎を巣立って行かれた。




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